8月1日 生野区 鶴橋道場 空手練習

今日の鶴橋道場の練習では3名が審査を受けました。皆んなしっかり集中していて大変良かったです。審査や試合でちゃんと結果を出す子は普段の練習から一生懸命練習している子が多い様に思います。まあ、いつもの練習の成果が現れるのが審査であり、試合なので当たり前の話ですが。

7月31日 東成区片江道場少年部 空手練習

本日の片江道場の稽古に、姉弟の2人が体験に来てくれました。

審査も兼ねての稽古だったので、基本稽古などゆっくり説明出来なくて、少し悔やまれますが、終わった後に弟君から、「空手やる!」と言って貰えたのが、嬉しかったです。

受審者は5人いたのですが、1人は怪我の為に後日、審査をやり直すことになりました。

受審者のレベルは高く皆んなそこそこ良かったのですが、黄帯や青帯もいてたので、採点は少し厳しかったかもしれませんね。

これから受審する道場生にアドバイスを一つ、『色の白いのは七難隠す」と言いますが、悠心会館においては、「声の大きいのは七難隠す」、声が大きいとやる気や気迫が伝わってくるので、同じ動作でもそれだけで力強く見えます。

急に空手が上手くなることはないでしょうが、大きな声を出すことは簡単ですね。

「簡単な事を為し得た者だけが、困難な事も成し遂げることが出来る」、私の座右の銘の一つです。

先ずは出来ることからしていきましょう!

7月30日 生野区勝山道場少年部 空手練習

8月2日に生野小学校で予定していた審査は中止になり、各道場で審査を行うことになりました。

早いところでは31日から審査が始まるので、本日は基本稽古を全て行いました。(悠心会館では通常は、稽古時間の制約もあるので、毎回6〜7割くらいの種類の基本稽古しか行いません。)

基本稽古をやると、手刀内打ち、中段内受け、内受け下段払い等が苦手な道場生が多いみたいなので、日頃から多くやるようにしているのですが、それでも苦手みたいです。

審査で思い出すのは、私は空手経験者で極真会館に入門しましたが、初めての審査では青帯(当時の極真会館には橙帯がなくて、白帯の次が青帯でした)なのに、同じ道場から受審したキャリアも同じくくらいの人が黄帯で、とても悔しかった思い出があります。

今回、審査を受審する人の中には、日頃の実力を出せる人もいれば、出せない人もいるでしょうし、飛級する人もいれば、しない人もいるでしょうし、中には審査が追試になる人もいるかもしれません。

しかし、その一回の審査の結果に一喜一憂することなく、結果に満足な人も慢心することなく、また不満な人も不貞腐れることなく、反省する点は反省して、今後の空手人生に役立ててください。

まあ、すぐに審査なので、もうジタバタせずに開き直って日頃の稽古の成果を存分に発揮してください。

そうすれば自ずと結果もついてくると思います。

7月30日 生野区 勝山道場 一般部空手練習

押忍、さかきばらです。

この日の一般部には久しぶりに川上兄弟が揃いました。

二人ともこの春からそれぞれ、中学・高校入学で色々大変かとは思いますが空手もより一層頑張って欲しいですね!

お兄ちゃんは、高校でもバスケットボール部に入部したそうで今日も身体中が痛いと言っていました。まあ、そんな中でも稽古に来るのはえらいもんです。

バスケットボール×空手と言えば極真中村道場の中村昌永代表。中村代表は小学校〜大学までバスケットボールに打ち込まれた後、大学卒業後に本格的に空手の修行を始められて全日本チャンピオン!更には無差別の世界大会でも素晴らしい成績を残されました。

中村代表の素晴らしい経歴の後で非常に言い出しにくいのですが…一応私も経験者です。バスケットボールではハシニモボウニモかかりませんでしたが、空手にはフットワークやスタミナ等、大いに生かせた部分がありました。はるき君にも期待しています!

ちなみにお兄ちゃんの道着の丈が短いのには深〜くない理由がありまして、今日は先に家を出た弟が兄の道着のズボンを穿いてきたそうで…仲の良いことでなにより!?

7月30日 東大阪市 英田道場 空手練習

型やミットに限らず全ての技には、スピードとパワーと正確さが必要です。全ての稽古で気を抜かず頑張ってもらいたいです。

さて、来週はいよいよ審査です。この道場の子はほとんどが受審するのでどんな姿を見せてくれるのか楽しみです。

7月29日 東成区片江道場少年部 空手練習

本日の稽古から奥田三姉弟の末っ子のたいが君が空手着デビューしました!

小さな子の空手着姿はいつ見ても可愛いく、また空手着を着ただけで心なしか逞しくも見えます。

その空手着姿を写真に撮ってホームページに載せようと、たいが君が来た時から考えていたのに、また撮り忘れるという失態を演じてしまいました。

子供達の空手着姿と言うと、まだうちの子供達が小さかったころに、三人の空手着姿を写真に撮って、年賀状にしていたことを思い出しました。

しかし、年賀状を出さなくなってから随分経ち、子供達の空手着姿を写真に撮ることもなくなりましたが、やはり年賀状は出した方が良いのでしょうか?

私が出さなくなったせいもあり、我が家に来る年賀状も減ってしまい少し寂しいですが、自業自得ですね。

無くなってもよい風習や文化も有れば、後世に残すべきものもあるでしょう。

空手は後者だと思うので、空手道場を運営し、空手を指導しているのですが、果たして百年後二百年後にも空手は継承されているのでしょうか?

もし無くなったり、廃れてしまえば、、自分が人生の一部を費やしただけに寂しいものがあります。

空手の継承について考えていると、数学的帰納法に通じるものがあると思いました。

数学的帰納法を証明するには、n=1のとき自然数nに関する事柄Pが成り立つことと、自然数n=kのときPが成り立つと仮定すると、n=k+1のときにもPが成り立つことを証明すれば良いのですが、空手の始まりが1だとすると、私がkでしっかり空手を継承していける弟子を育て、その弟子がk+1となって、また空手を継承していける弟子k+2を育成していければよいのです。

まだまだ自分はそのレベルではないかもしれませんが、いつかはそのレベルに達してその鎖を繋げていきたいものです。

喩えがいまいち分かり難いかもしれませんが、要は継承者を育てられるくらいの継承者を育てることができ、またその指導方法を確立すれば良いだけのことです。

まあ言うのは簡単ですが、その行程は決して簡単でも楽でもないと思いますので、そうなれる様に空手の道に精進したいものです。