
押忍、さかきばらです。
ヨーイ テ!

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押忍、さかきばらです。
ヨーイ テ!

押忍、さかきばらです。
マスク姿での稽古に違和感を感じなくなってしまった事に、少し衝撃を受けた今日この頃。
人間の慣れとは怖いものですね…
エアリズムマスクが近日発売されると話題になっているそうな。マスクの発売日が話題になるなど、去年に誰が想像し得たでしょうか。
くわばらくわばら。

押忍、さかきばらです。
この日は11人の参加者で元気良く練習が出来ました。
スマホを忘れた為、子供達の雄姿をお見せできないのが残念でなりません。

水曜日の片江道場は幼児から大人までが一緒に稽古をしているクラスになります。
今日は後回し蹴りの稽古をしたのですが、なかなか上手くいかなかったので、時間が取られてしまい、移動稽古と型稽古をやる時間がなくなってしまいました。
後回し蹴りは一度出来るようになるとそんなに難しい技ではないのですが、出来るまでは酷く難しく感じてしまい、習得を諦めてしまいそうになります。
出来るまでは難しく感じても、出来るようになれば簡単に感じることは良くあることですね。
自転車も乗れるようになるまでは難しく感じますが、一度乗ることが出来ると当たり前のように乗れるようになります。
なので道場生の皆さんも、困難にぶつかっても諦めずに、その困難を乗り越えられる様に頑張ってください。
乗り越えた者だけが見える景色があり、新しい世界も開けることでしょう。

本日の参加者はちょっと少なめでした。
早くみんなが復帰してくるのを楽しみにしています。
最近道場生の声が小さいような気がするのですが、子供達もコロナの影響で大きな声を出すのを遠慮しているのかもしれません。
マスクを付けているので、対面していない時は大きな声を出しても良いと思っていますし、実際そう指導しているのですが、声が小さくてもコロナ前ほど強く注意しない自分に、その自信の無さに情けなく感じます。
私の好きな言葉の中に、メンデルの法則で有名なグレゴール・ヨハン・メンデルが言った「たとえ間違っているはずだとしても…正しいと思えた時に正しいと言ったり 行動したりしないとしたら………………だとしたら…人間には 何も無いんだ!」と言う名言があります。
明日からは大きな声を出すようしっかり指導していきます。

押忍、さかきばらです。
梅雨入りして過ごしにくい季節になってきましたが、みなさん不快感を吹き飛ばす様な良い汗を掻かれていました。
今回調べて初めて知ったのですが、「汗をかく」の「かく」はひらがな表記が一般的なのですが、漢字では「掻く」と表記するそうです。
面白いですねー

本日の片江道場の稽古は、低年齢の道場生の比率が若干高かったようです。
大阪も梅雨入りして雨の日が多く、少し憂鬱にもなりますが、空手の稽古は室内で行えるので、そんな憂鬱など吹っ飛ばすくらい空手の稽古に没頭したいものです。
室内で稽古が行えるということは、屋外競技に比べて天候に左右されないので良いのですが、今回のコロナウィルスに関しては正反対です。
このコロナウィルスに依る稽古量の差は大きいでしょう。
道場での稽古があれば、他の道場生の手前サボることも出来ませんが、このコロナ自粛下では稽古の大半が自主稽古となるので、ついつい意思の弱い人間は稽古の質も下がり量も減るでしょう。
私がどうだったかは私の体重が物語っています。
「後悔先に立たず」と言いますが、今さら過ぎた時を戻すことは出来ないので、サボった分を取り戻す為にも、今日からは稽古に精を出したいものです。

今日は胴廻し回転蹴りの稽古をしました。
今日だけではなく最近はよくしているので、だんだんコツを掴めてきたのか上手く蹴れる子も増えてきました。
私が子供の頃は体操競技でもウルトラCとかウルトラDとか持て囃されていたのに、今ではそんな技を子供達が難無くこなすらしく、トップ選手はG難度やH難度の技を出すらしいです。
胴廻し回転蹴りも私が中学生の頃は、ごく一部の選手だけが繰り出す技でしたが、今では小学生はおろか中には幼稚園児でも器用に蹴る子がいます。
しかもレパートリーも現在は増えて、オーソドックスな胴廻し回転蹴りだけでなく、前方回転ふうに繰り出す胴廻し回転蹴りや、頭を後方に傾けながら繰り出す胴廻し回転蹴りもあります。
私は身体が硬いので、黒帯になってからも後ろ廻し蹴りすら諦めて稽古もせず、ましてや胴廻し回転蹴りなど蹴ろうとも考えたことがありませんでした。
しかし、頑張って稽古しているうちに人並みに蹴れる様になりました。
何事も諦めずに頑張ればどうにかなるし、最初からダメだと思っていたら、そんなもの上手くなどいくはずもありません。
私にはこんなこと出来ないなんて卑屈なって稽古していたら、成果は得られないし、ましてやそんな稽古やっていても楽しくとも何ともないでしょう。
自分を信じて正しく努力すれば必ず成果は表れますので、道場生の皆さんも日々の鍛錬を騙らず、愚直に頑張ってください。

身体の固い子供達も逆正座だけは、大体出来るのですが、稀に出来ない子がいます。
あまり身体の柔らかくない私も逆正座だけは難なく出来ていたのですが、30代前半の頃に膝を痛めてからは出来なくなりました。
それまでは怪我らしい怪我もしたことがなく、少し腰痛があるくらいで自分の身体の丈夫さを誇る気持ちと、そんな身体に生んでくれた両親に対する感謝の気持ちでいっぱいでしたが、その膝の怪我くらいから身体が万全の状態になったらことが無いくらい、小さな怪我から大きな怪我を繰り返しています。
大した才能に恵まれている訳でもない私が、唯一の拠り所としていたのが身体の丈夫さで、「無事之名馬」と少し自惚れていたのですが、その唯一の自慢も今では過去のはなしです。
幸せは失ってからその幸せに気付くと良く言いますが、身体の丈夫さも感謝していたと言いつつもそれが当たり前と思っていて、今になって怪我の無いことの有り難さが身にしみます。
そして同じ様な言葉で最近の私の心に響く言葉が、「髪は抜け始めてからわかる、髪は長い友だち」です。
理由は私の頭を見て察してください。

稽古が終わってクタクタに疲れていても、飴を選んでいる時は元気が出る子供達が可愛くもあり、愛おしく感じます。
「アメとムチ」という言葉がありますが、その語源はドイツ帝国の「鉄血宰相」ビスマルクによる政策を評価した言葉が定着したものである。
1880年代にビスマルクは、社会主義の温床が貧困にあるとして、疾病保険法・災害保険法・老齢疾患保険法に基づく世界最初の社会保険制度を創設し社会改良を行うことで階級融和を図った。
しかし、社会主義者鎮圧法と同時に実施されたため、飴と鞭の政策といわれた。これらの政策は、現在の世界の社会保険制度のさきがけとなった。
ビスマルクを批判する立場からこの言葉を使ったのはフランツ・メーリングで、彼は社会主義者である。また、アメには利益、ムチには暴力・強制といった意味がこめられている。
以前は道場での指導に体罰もあったので、正に「アメとムチ」で、今はムチの「暴力」は無くなり「強制」だけになりましたが、理想はやはり「強制」ではなく、道場生が自ら厳しい稽古に取り組むのが理想です。
ちなみに私が体罰を辞めた要因の一つに、高校時代の恩師である小田正道先生の著作「親と子のこころのバレー塾」の中で、私の高校生時代は体罰の権化みたいだった氏が、自称「全国どつかない運動会長」と名乗っていること知ったからでもあります。
小田先生は日体大出身の体育教師で、私の高校にはもう1人日体大出身の体育教師がいましたが、その先生も小田先生に負けないくらい体罰が激しかったです。
日体大は体罰の温床になっていて、全国の中高学校に体罰を広めているのかもしれませんね。
全国の運動部の指導者の体罰(暴力・暴行事件?)が日本のスポーツの発展の障害になっていたと思いますので、今では体罰も減っているのでしょうが、まだ運動部の顧問には体罰をしている指導者もいるでしょうから、是非とも辞めてもらいたいものです。
私の体罰が原因で道場を辞めたり、空手が嫌いになった道場生には心から謝罪し、また反省しています。
楽しく空手の稽古をして、強くなれるのが理想なので、そんな指導を心がけたいものです。